- 秀行は「しゅうこう」と呼ばれることがある。弟子などからは専ら「しゅうこうせんせい」と呼ばれている。
- 後悔の手を打ったときは自分の頭をげんこつで思い切り殴ることもあったらしい。
- 藤沢秀行名誉棋聖。棋聖6連覇、名人2期、通算獲得タイトルは23。
- 東京都台東区小野照崎(おのてるさき)神社は芸能の神が祀られていることで有名で、芸術家や芸能人が多く訪れる。この神社の一角に藤沢秀行の記念碑がある。
- 記念碑には藤沢の言葉が刻まれている。「碁は芸である。碁には個性、生き方、その人間のすべてがあらわれる。無限に続く芸の道は厳しいがひたむきに歩む者は幸せだ。人間を高め、力をつけよ。自分にしか打てない碁を探求せよ。これだけは伝えたい。強烈な努力が必要だ。ただの努力じゃダメだ。強烈な、強烈な努力だ。」
- 藤沢秀行が囲碁フォーカスで特集されたときの講師、林漢傑によると藤沢は「破天荒のイメージで、囲碁に対する情熱がすごい。そして器が大きく、門下生関係なく囲碁が上達したい人ならば誰でも教える」という人だったらしい。
- 藤沢秀行の人生は劇団朋友によって2015年5月、「華と石と」で舞台にもなった。
|
- 教えるときのスタイルはほめて伸ばすとは真逆。期待の裏返しで怒って怒って怒りまくる。「ほめられたのは1回か2回だけしかない。」(高尾紳路)、「怒られた数のほうが圧倒的に多い。逃げちゃだめだ、戦闘力をつけろ、という言葉が一番印象に残っている。」(倉橋正行)、「叱っていただいたことがうれしい。」(釼持丈)、「あまり考えずに人が打っていた手を打つとものすごく激怒された。」(藤沢一就)
- 1991年の39期王座戦では史上最年長の66歳で王座を獲得した。翌年、当時三冠だった小林光一(棋聖、名人、碁聖)の挑戦を退けて防衛。直後のインタビューでは「(小林を破って防衛したことは)どうってこたあない」と言ってのける。
- 藤沢秀行の対局で最もよく知られているのが1978年の棋聖戦第5局。大長考の末、殺し屋の異名をもつ加藤正夫の大石をとってしまった。ちなみに、この対局は「棋士200人が選んだ語り継ぎたい妙手・名手ベスト10」の第5位。
(2015年10月囲碁フォーカスより)
|